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大津地方裁判所 昭和43年(わ)150号 判決

被告人 吉田昇

主文

被告人を禁錮一〇月に処する。

本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中道路交通法違反の点については被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転の業務に従事していたものであるところ、昭和四三年七月一九日夜友人藪内芳雄(当四二年)と共に大津市にて飲酒した後、被告人が普通乗用自動車(滋五ふ二一〇八号)を運転し、助手席に右藪内を同乗せしめて帰途につき、翌七月二〇日午前二時二〇分頃草津市矢倉町二丁目地先国道一号線(車道幅員八・七米、直線、平坦、アスファルト舗装、中央線あり、且道路南側には一・三米の歩道、北側には一・三五米の側帯がある)を、水口方面に向つて時速約六〇粁で東進中、対向車の前照燈に眩惑され一時前方注視が困難な状態となつた。このような場合自動車運転者としては直ちに一時停止又は最徐行し、視力の回復を待つて運転を継続する等の措置を講じ、以て事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず、被告人は之を怠り、前方確認もできぬまゝ、漫然そのまゝの速度で把手を左に切りながら進行した過失により、前方左側々帯の外側に停車していた大型貨物自動車(いすずTD七〇型、七・五屯積の車の後部にトレーラーを連結し、原木を積載している)に気付かず、自車を道路左側々帯まで進出させ、自車左前部を右貨物自動車後部右側の積荷の原木に衝突せしめて自車の左前部、助手席等を破壊し、因て助手席に同乗していた前記藪内芳雄に頭蓋骨粉砕骨折、割創兼脱脳等の傷害を被らしめ、之により同日午前三時一五分頃滋賀県栗太郡栗東町大字大橋二八〇番地済生会滋賀県病院において同人を死亡するに至らしめたものである。

(証拠)〈省略〉

(適条)

刑法第二一一条(禁錮刑選択)、第二五条

(無罪の理由)

本件公訴事実中道路交通法違反の点は「被告人は判示日時場所において判示交通事故を惹起したに拘らず、直ちにその日時場所等法令に定める事項を最寄の警察署の警察官に報告しなかつた」というものであり、この事実は被告人も認めるところである。

(一)、前掲各証拠及び藪内ます子の司法巡査に対する供述調書により認め得る本件事故発生後の被告人の行動は次のとおりである。即ち被告人は判示事故を惹起するや直ちに負傷した藪内を車外に運び出し、折柄現場を通りかゝつた村上勝彦(知人)運転のタクシーを呼止めて負傷者を乗せ、自らも同乗して病院に向う途中、救急車に出遭つて負傷者を之に移し、自らは村上運転のタクシーで救急車と共に判示病院に赴いたが、間もなく右タクシーで被害者方に赴いて(午前二時四〇分頃)被害者の妻藪内ます子を呼起し、別のタクシーを雇つて同女を右病院に案内した。しかし午前三時一五分頃負傷者は遂に死亡したので、来合せた被害者の親族等と暫時話をした後、午前五時頃再び藪内ます子を自宅まで送り、その後午前六時頃自宅に帰つた際、待受けた警察官に逮捕せられたものである。

(二)、他方中村巡査の交通事故発生報告書、小山警部外一名の捜査復命書及び前掲実況見分調書によれば、本件事故発生の直後たる同日午前二時二五分頃事故現場附近住民から電話で警察署に本件事故発生の報告がなされ、之に基き小山警部等が本件事故現場に赴き、午前二時三二分頃から現場で実況見分が開始せられたこと、その間午前三時頃には前記村上勝彦運転手が現場に引返し、本件事故の惹起者は被告人である旨警察官に報告していること、小山警部等は実況見分の終了後午前五時頃判示病院に赴いて被害者の死亡を確め、午前六時頃被告人方に赴き帰宅した被告人を逮捕したことが認められる。又本件事故は判示のとおり国道の車線外の路肩部分で発生しており、被追突車には人の死傷、物の破損等は全然生じなかつたことも前掲各証拠により明らかである。

(三)、道路交通法第七二条が交通事故を惹起した車の運転者等にその報告義務を課している理由は、人の死傷や物の損壊を伴う交通事故が発生した場合において、警察官をして速かにその事故を知り、被害者の救護や交通秩序の回復につき適切な処置を執らしむる必要上、その事故発生を最も早く知り得る当該車の運転者等に報告義務を課しているものであつて、犯罪捜査の目的ではないと解すべきであり(最高裁判所昭和三七年五月二日大法廷判決、東京高裁昭和三八年一一月二六日第一〇刑事部判決参照)このような見地からすれば、事故を惹起した運転者は第一次的に報告義務を課せられているが、事故後報告義務者が報告し得る状態にない間に何人かゞ、警察官に事故の報告をし(義務者の指示又は依頼により他人が報告した場合は勿論、義務者と無関係に他人が報告した場合も同様である)之により警察官が事故現場に赴き必要な処置を執つた場合、或は数人の報告義務者の中の一人が報告し之により必要な処置が執られた場合等には、当該運転者或は他の報告義務者に重ねて報告せしめる必要はないものと謂わねばならない。

(四)、尤も事故を惹起した運転者は速かに右報告を為すべき義務があることは前記立法趣旨からも当然であるから、事故後報告義務を尽し得るに拘らず之をなさず、或は右義務を尽す意思がない場合、例えば事故後そのまま現場から逃げ去る所謂ひき逃げの場合等には、直ちに報告義務違反罪が成立し、その後に他人が報告をしても既に成立した右犯罪の成否に影響なきものと解すべきであるが、道路交通法第七二条は事故を惹起した場合には直ちに停車し負傷者の救護等応急措置を講ずべきことを命じ、更に「この場合において」運転者等はその事故の日時場所等所定の事項を警察官に報告すべき旨を規定しているのであるから、事故を惹起した運転者が先づ負傷者の応急措置等を講じている間に、他人が事故の報告をしたような場合には、前記理由により当該運転者の報告義務は消滅するものと解すべきである。

(五)、本件事故発生後の被告人の行動は前認定のとおりであり、当時の状況としては、自車の助手席に乗つていた藪内芳雄は重傷を負つており、他方被追突車には何等の損害もなく、且事故現場は道路の路肩部分であつて他の交通には影響の少ない個処であるから、このような場合被告人が先づ負傷者を病院に運んだことは適切な処置であつたといわねばならない。又之に引続き被害者方に赴きその妻に急を知らせ之を病院に案内した処置も、被害者の救護に附随する措置として是認さるべきである。ただ被害者の妻を病院に案内した後即ち午前三時頃以降においては、電話で事故を警察署に報告し得る状態になつたと推認すべきであるが、この時点に於ては既に他人の報告により警察官は本件事故現場に到達し必要な処置を執り得る状態となつていたことは前認定のとおりである。従つて本件は、被告人が判示交通事故を惹起した後、先づ必要な被害者の救護を行つている間に他人が警察官に事故の報告を為し、之により警察官は事故現場に赴いて必要な処置を講じたものであり、即ち被告人が報告義務を尽し得る状態となつた時点においては、既に法律が事故惹起者に報告義務を課した目的は達せられているのであるから、被告人に課せられた報告義務は消滅したものと謂わざるを得ない。尚その後において被告人に報告義務を尽す意思があつたか否かは、右結論に影響なきものと解すべきであるが、前認定の事情からすれば、被告人には逃走する意思或は本件事故による民事上、刑事上の責任を免れんとする意思もなかつたものと認めざるを得ない。従つて本件公訴事実中道路交通法違反(報告義務違反)の点は罪とならないものと解すべく、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をすべきものである。

(量刑事情)

本件事故は被告人の一方的過失により発生したものであり、その結果自車に同乗していた藪内芳雄を死亡するに至らしめたことは判示のとおりであり、被告人の責任は重大と謂わねばならない。更に被告人は本件事故前、草津市及び大津市において相当量の飲酒をした上車を運転していたものであり、事故当時交通法規に定める酒気帯運転禁止の酒量を超えていたか否かは証拠上明らかでないが、事故後に被告人に会つた人々の供述によつても、当時酒に酔つていたことは明らかに認められ、本件事故も酒酔のため注意力が散漫となつていたことも一因と考えざるを得ない。しかし被害者である藪内芳雄も被告人と共に飲酒していたものであり、従つて被告人が酒に酔つて運転することを知りながら之に同乗したものと謂わねばならず、本件事故の責任の一端を負担すべきものと謂わねばならない。又本件事故により被追突車側には何等の損害を及ぼしていないし、永元種吉の捜査復命書によれば被害者の遺族との間には金四一五万円を支払う内容の示談も成立しており(一部履行)、一方被告人は妻と共に牛乳販売業を経営しているが、本件事故後は自動車の運転を止め謹慎していることが認められるので、今回は刑の執行を猶予するのを相当と認める。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 田中勇雄)

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